大学生の頃の話です。

広島の繁華街近くには
並木通りという道があって、
そこにはおしゃれなレストランや
ブティックが軒を連ねていました。

そこに新しく
スパゲッティ専門店ができたということで
友人と食べに行ってみました。

階段を上がって二階の店内に入ると
ほぼ満席でした。
私はボンゴレというアサリのスパゲッティを
注文し、白い器の大きさに驚きつつも
おいしくいただいて、帰ろうとしたときのこと。

伝票の裏に印刷されていた言葉に
衝撃を受けました。

「この道より我を生かす道なし。
 この道を歩く(店長)」

と書かれていたのです。

この店の店長は
こんな気持ちでスパゲッティを
作られているんだ~と驚きました。

料理人として、道を極めようとする意気込みを
強く感じました。

「これが自分の天職だ」
そう言い切れるものがあって、
そこに向かう姿は美しいです。

それは本当に幸せなことだと思います。

次の瞬間、その衝撃の矢は私自身に向きました。

はて、なんとなく教員養成系の大学に行っているけれど、
果たして自分はどれほどの情熱を持って
取り組んでいるだろうか?

とても天職なんていうレベルではない。

世の中のこともよく知らずに、
たかだか20年生きてきた中で
漠然と選んだ道ではなかったのか?

ただ安定した暮らしを望んだだけではなかったのか?

「この道より我を生かす道なし。
 この道を歩く」

自分にとっての「この道」とは何だろう・・・?

何に人生をかけるんだろう?

後に、その言葉は、
明治・大正・昭和を生きた小説家、
武者小路実篤さんの詩であることを知りました。

たった2行の詩だけれども、
心に突き刺さる。

言葉の力はすごいですね。

この時の体験が、
以前のメルマガで書いたような
スピリチュアルな体験とか、
ハワイの親族に会ってカルチャーショックを受けたことに
つながります。

「この道を歩く」というのは
一つは、どんな職業に就くか
ということがあるでしょう。

あるいは、
何か「志(こころざし)」を抱く、
夢を持つ、
人生のビジョンを描くとか。

何かやり遂げるということではなくても
「生きがい」を持つとか、
まわりに流されず「自分らしく生きる」、
それも「この道を歩く」ということだと思います。

誰しもが求めていることは「幸せ」です。

でも、「幸せ」のかたちはそれぞれ違います。

その「幸せ」をとことん追求するというのも
一つですね。

自分が心の底から幸せだと感じるのは
どんなときだろうか?

それをいつも感じるには
自分はどうなっていたらいいだろうか?

その環境を手に入れるには
どうしたらいいだろうか?

「この道より我を生かす道なし。
 この道を歩く」

「お父さんも、こういう生き方が
 一番だと思ったから
 今までこうやって生きてきたんだよ」

娘たちには、そう語れる自分でありたいと
思います。