任されている大きな仕事があって、
その責任を思うと、不安がよぎり、
心が押しつぶされそうになる。
そんなとき私が好んで行くのは
地元の「一の宮」である高良大社です。
街を見下ろす山(というか小高い丘?)に神社があり、
展望台から市内が一望できます。
しばらくそこにいると
不思議な力が湧いてくるんですね。
俯瞰して見るので、
視野が広くなるというのもあるでしょう。
モヤモヤしていた気持ちが
すーっとするような体験をします。
そして何よりも、
「おさとし」というか、一つの指針が
声ならぬ声で、短い言葉として
心の中に与えられることが多いんです(!!!)
ちょっとスピリチュアルですが、
その与えられた言葉が、
自分の頭で考えた言葉でないことは確かです。
なぜなら、
自分でも「えっ?」と耳を疑うような言葉のことが
あるからです。
10年ほど前のことです。
この神社にお参りしていると
「この国を何とか頼む」という声ならぬ声が聞こえて、
びっくりしたことがありました。
個人的なことでどうしようかと迷い、
お伺いをするような気持ちで
参拝したにもかかわらず・・・です(笑)
この国を・・・って、
このちっぽけな自分に何ができるもんですか。
政治家でもないし。
と思いつつも、
個人的な迷いはあっという間に吹き飛んで
一つの方向に向かって心が定まった、
そんなこともありました。
他人に話しても信じてもらえないだろうと、
ほとんど誰にも話すこともなく心にしまっていた体験です。
今振り返ってみると、
「この国を何とか頼む」
その言葉を聞いて以来、
無意識のうちにも、その言葉が心の指針となり
支えとなって、勇気をいただいてきたなと思います。
「自分がどうしたい」というよりも、
「世の中のために
自分には何ができるだろう?」と
そのように視点を変えてもらったのでしょうね。
もちろん自分にできることなど限られていて
微力も微力、
自分のいるところで
「片隅を照らす」ことができれば
というレベルです。
でも、確かな道を歩いているという充実感と
幸福感があります。
計算や打算ではない、
心の底から湧いてくるものを原動力に
生きてるという感じがするんですね。
私は決して霊能者ではないし、
神様の声が聞こえるとか、
特別スピリチュアルな能力があるというわけではありません。
ただ、心を静かにし、尋ねるような訓練をすると、
心の声を聞くことができる
人間は誰しもそのような能力を持っていると、
そう思っています。
そしてその心の声は
迷っているときも
どちらに向かえば
本当に自分が幸せを感じる場所に向かうのか
それを知っています。
人は日常生活のなかで、目から耳から皮膚から
直接的で刺激的な情報がどんどん入ってくるので
少し忘れているだけではないでしょうか?
今はスマホを持ち歩き、
そこからもいろんな情報が入ってきますね。
雑念を払い、心静かな環境をつくるのは
けっこう難しいのかもしれません。
静かな神社やお寺、教会、公園、
そういった場所を訪れて
自分の心と対話する
そういう時間を持つのも大切なことだと思います。