実は先週、友人の葬儀に出て
人生には限りがあるという現実を
見せられました。

彼にお世話になった人は多く
たくさんの人が葬儀にかけつけました。

残した子供さんたちの成長を
もっと見届けたかっただろう・・・とも
思いました。

それで色々と考えさせられました。

何気なく生きていると、
ついつい時間は無限にあるような
錯覚に陥ります。

でも誰しも必ず、人生の終わりの時がくる。

本当に大切なことに
限りある自分の時間を
自分のエネルギーを注いでいるだろうか?

そんなことを考えさせられるました。

実家の庭にビワの木があります。
今年もたくさん実をつけました。
両親が亡くなった今、
兄が庭の世話をしています。

兄は「仕事が忙しくて手入れできなかった。
今年のビワはあまり甘くない」
と言っていました。

本当はしっかりと葉を
落とさないといけなかったと。

葉が茂り過ぎていて
養分が実に行かず、
葉のほうに行ってしまう。

だからビワの実が甘くないというのです。

ぶどう畑もこれですね。

ぶどうこそ、
どんどん枝葉を刈り込まないと
甘くならない。
余分な枝葉を取り払う。
剪定する。

そうしないと、葉が茂るだけで、
実は実らない。

遠目にみれば華々しくても、
近くに寄るとがっかりさせられる。

だから農夫はぶどう畑で
せっせと葉を剪定します。

これって私たちの人生にも
当てはまるのではないかと思います。

はた目にはお金持ちで名声もあって、
誰もがうらやむような境遇にあっても
内情を見てみると
他人には言えない苦しみ、悲しみを
抱えている。

そんなことがあります。

「古代ローマ、ギリシアは滅んで
芸術を残した。

カルタゴは滅んで
帳簿だけを残した」
そんな言葉があります。

古代ヨーロッパで
地中海沿岸の国カルタゴは
海上貿易で繁栄しました。

しかしお金を稼いだだけで
ローマ、ギリシアと比較すれば
何の文化文明も残さなかった
というわけです。

繁栄したようで
中身は空っぽだと。

家庭においても
家風というものがあり
習慣が家庭の文化となっていきます。

もし、本当の実をつけずに
見せかけの繁栄にとらわれていたら?

限りある時間の中で
何を重要視し
どこにエネルギーを注ぐか?

忙しさの中で、
大切な人と向き合うことが
おろそかになっていないだろうか?

それで色々と考えさせられたのです。

もちろん、ただ生真面目に生きろ
というわけではありません。

人生の終わりの時に
豊かな実を実らせていきたい。

自分にとってそれは何だろうか?
ということです。