ここ数年、世間では「癒し」がブームですね。
「◯◯セラピー」とか
「ヒーリング」という言葉をよく聞きます。

それだけ、心身の疲れがあったり
ストレスが多いということでもあります。

私も「癒し系ですね」と
言われることが多いです(汗)

人に、情報に、音楽に、環境に 
癒やしを求める。
共感を求める。

たとえば、友人と食事をして
話を聞いてもらって
共感してもらう。
それだけで心が軽くなるのは
確かです。

わかってもらえた~と思うと、
元気になります。

でも、
実際に私達を取り巻く状況は
心地よいものばかりではありません。

課題に向き合わないといけないときは
しっかりと向き合い、
乗り越えるべきことは
乗り越えていかないといけない時があります。

逃げようにも逃げられない。

そのときに必要なのは
ちょっとした「勇気」です。

腹をくくって
目をつぶってでも
苦しいことに体当たりでぶつかっていく。

それも大切なことです。

苦しいとき、
慰めてくれる耳障りのいい言葉を
ついつい求めてしまう。
「そうだね。そうだね」と
共感してもらうことを求める。

でも、それは一時的なものだったりします。

本当に自分を変えてくれるのは
思いもしない角度からやってくる
ひとつの言葉・・・だったりするのです。

それは耳が痛くて聞きたくない話、
ズキッと心が痛む話かもしれない。

あまりにも図星すぎて
傷つくかもしれません。

でも、「良薬は口に苦し」で
その話こそが自分を変えてくれる
きっかけになったりするのです。

「わたしの子よ、
主の訓練を軽んじてはならない」
という有名な聖書の言葉があります。

親なる神様は、人をわが子として
取り扱っておられる。
だから愛するがゆえに訓練するのは
当然ではないか?という意味です。

人生思うようにならない。
本当に神様がいるのなら、
どうしてこんなに意地悪ばかりするんだ。

現実には、
そんなふうに感じてしまうような出来事が
むしろ多いのです。

でも、宇宙の法則では、
自分自身が一番輝き、
幸福を感じることのできる場所へ行くまでに
時として多くの試練が与えられます。

と同時に、必ず解決のヒントも与えられます。

誰かの一つの言葉でハッとさせられたり
乗り越える勇気を与えられたり。

それは耳障りの良い言葉ばかりではありませんが
「捨てる神あれば、拾う神あり」みたいに
試練と、それを乗り越える薬と
ちゃんと与えられているものなのです。