前回の話題、
今年の漢字は「密」でしたね。
コロナ対策で「3つの密を避ける」
という意味だけでなく、
大切な人との関係が「密接」になり
人とのつながりの大切さを再認識した
という意味もあったそうです。
なるほどなと思いました。
漢字一字で振り返るのも良いですが、
私としてはもう一つ、
「今年一番の本」は何だろうかと振り返ってみました。
今年発刊された本というのではなく
自分自身、一番影響を受けた本、
何度も読み返した本という意味です。
私にとってそれは
「ヤベツの祈り」という本でした。
米国で20年前に発刊され、
1000万部のベストセラーになった本で、
日本では翻訳本が出たものの
すでに絶版になっています。
友人から教えられ
Amazonで中古本を見つけて取り寄せました。
米国の牧師さんがクリスチャン向けに書かれた本なので
日本人からすると少し違和感があるかもしれません。
しかし、この本を通して
私には大変な変化が起きました。
「神様に自分の祈りが聞かれている!?」
そう感じる体験です。
漠然とした神様という存在が、
日常生活のなかで、空気を吸うように
当たり前の存在として身近に感じるようになりました。
すごいですね。
そしてそれはけっこう
神社に参拝して感じる感覚とも近いです。
この本は
「神が必ず応えてくださる大胆な祈りを
お教えしようと思います」
という一文から始まっています。
旧約聖書の片隅にあった一つの祈りを
紹介しています。
「私を大いに祝福し
私の地境(じざかい)を広げてくださいますように。
御手が私とともにあり、
わざわいから遠ざけてくださいますように」
何千年も前に書かれた短い祈りの言葉に
大きな秘密がありました。
これが、神が聞いて喜ばれ
応えられる祈りだというのです。
もしかしたら、一つの暗示かもしれませんし
思い込みかもしれません。
でも、こう祈ると間違いなく
目の前で起こる一つ一つのできごとの
受け止め方が変わります。
「あっ、これは自分の祈りに対して
神様が応えてくれたのかもしれない・・・」
そう思うと、次の行動が変わります。
普通だったら引き受けないこと、
挑戦しないこと、
ものおじして引っ込めていたこと、
それに対して「わかりました。やってみます」
となります。
決して自信はない、不安もある、
だからこそ
「御手が共にありますように」と祈る。
自分の実力じゃ無理、神様手伝ってください
と祈らざるをえません。
そして振り返ってみれば
今までの自分では決してしなかったであろう
冒険と挑戦をしているのです。
そして自分の地境、テリトリー、
縁が広がっていく。
今年、こんな体験を何度もしました。
「ヤベツの祈り」という1冊の本がきっかけです。
日本の一部のクリスチャンたちからは
「そんなのご利益信仰じゃないか」と
批判されるところもあるようです。
でも私は思います。
ご利益信仰、上等じゃないかと(笑)
日本人的な感覚からすると
ぴったりなんです。
クリスチャンのいう「神様」とは違うかもしれないけど
「お天道様が見ている」という感覚は
日本人の誰もが、伝統的に持っています。
だからそのお天道様をもっともっと
身近に感じることができるのです。
そして何かを成しとげたからと言って
決して傲慢になることもなく、
「おかげさまで」という心で
感謝することができます。
謙遜でいられるのです。
「引き寄せの法則」という話が
10年ほど前にすごく流行しました。
これは一つの真理でもあるのですが
決定的な盲点があります。
自分に都合よく引き寄せようと
勘違いしてしまうことです。
これには、天動説から地動説みたいに
観の転換が必要です。
自分が引き寄せるのではなく、
神様が自分に集めてくれる
というふうに転換するのです。
そう考えてこそ
自己中心的にならずに
全体の調和もとりながら
前進することができます。
また、人はコンフォートゾーン、
一番慣れた場所が一番居心地がよく、
殻を破ること、
挑戦すること、
冒険することをためらってしまいがちです。
そして変わらず同じ場所、同じ状態に
とどまってしまいます。
「やらずに後悔するより、
やって後悔するほうがいい」
NHKの朝のドラマで何度も出てきた言葉です。
クリスチャン家庭として描かれていました。
ものすごく積極的で行動的で
一本の信念で貫かれていました。
それが、神を信じている人の強さなんだと
改めて感じました。
「私を大いに祝福し
私の地境を広げてくださいますように。
御手が私とともにあり、
わざわいから遠ざけてくださいますように」
これを読者の皆さんに置き換えて
お祈りします。