新年あけましておめでとうございます。

よい正月をお迎えでしょうか?
私は今日、家族で地元の神社に初詣する予定です。

「天命に生きる」と、すごいタイトルをつけましたが
新しい一年を出発するにあたってとても大切なことだと思い、
このテーマにしました。

自己啓発とか自己実現、引き寄せの法則
これには限界があると書いたことがあります。

夢を叶えたいとか、あなたの夢は?とか
よく言いますね。

でも、気をつけないと自己中心的になります。
そしてその夢を叶えることが
本当に自分の幸せになることなのかどうかも
わかりません。

もしかすると、
夢を叶えることは、自己満足かもしれないし、
破滅へつながる道かもしれないし、
周りの人を不幸にするかもしれません。

「夢に向かう」ということが
無条件に良いことのように言われる現代ですが、
その風潮に、疑問を呈したいと思います。

夢を叶える人はほんの一握りで、
夢破れる人がほとんどではないでしょうか?

また、夢を叶えると言っても
自分には何が夢なのかわからない
という人も少なくないでしょう。

夢を見つけ、夢に向かうことが、本当に
自分が最も輝き、幸せを感じ、
周りの人たちも幸せにする道なのか?

答えは、正反対です。
180度転換する必要があります。

太陽が地球の周りを回っている「天動説」から、
地球が太陽の周りを回っている「地動説」に
転換するように。

私が生きたいように生きるのではなく
私が天から願われているように生きる。

「天命に生きる」ということです。

すべての人が、意味があって生まれています。
願いがあって生まれています。

天はすべてご存知で、お見通しのうえで、
私に願いをかけておられる、
それは何だろうか?と考えるのです。

それは決して無理やり押し付けられるようなものでは
ありません。

我欲を捨て、心静かに自分自身に問いかけてみます。

そして本心の奥底から
これだというものを見つけるのです。

人生に無駄はありません。
手遅れということもありません。

天が自分を通してやりたいことがある。
それをやろうということです。

自分も幸せを感じるし
周りの人たちも幸せになる道です。

そのように生きていく中で
必要なものは周りに集まってきます。

天の願いに沿って生きようとしているわけですから、
自分が良いことを引き寄せるというよりも、
天が自分の周りに必要なことを集めてくれるのです。

夢に向かって生きるということと、
天命に生きるということ。
この二つは、似ているようでまったく違う考え方です。

それが悪いというわけではありませんが、
これからの時代は、
「夢を叶える」から「天命に生きる」
このような考え方の転換をしてこそ
生き残れるし、輝ける時代だと思います。

原動力が違います。

自分の欲からではなく、
宇宙全体から無限のパワーをもらう感じです。

だから持続もするし、
簡単にあきらめることもしません。

結果として周りに仲間ができたり
必要なものを手にしていたりするのです。

最近どこかで見た話で
ハッとさせられることがありました。

西洋でいう「神様(God)」は
日本語に置き換えると、
「神」という言葉よりも「天」という言葉に近い。

日本語でいう「神」は
自然界のあらゆるところにおられる八百万の神様だ

という話です。

その話で、私は長年の疑問が
いっぺんに解けたように思いました。

日本人はユダヤ教、キリスト教、イスラム教の
一神教とは違う。
でも、生き方の根底には一神教的なところが
大いにある。

これは何だろうか?という疑問です。

その答えは「天」でした。

日常的に、天がつく言葉を用いています。

お天道様
天命
天才・天賦の才能
天性
天分
天職
天気
天と地
天罰が下る
などなど

日本人は違和感なく、「天」という
人の上の存在、人を超えた存在を感じながら
生きているのです。

その起源はどこからだろう?と
たどっていくと、
ユダヤの旧約聖書の世界に行き着きました。

古代ユダヤ人と古代日本人のつながり。
文化の相似。
神道のルーツは旧約聖書?みたいな話まで、
トンデモ話、都市伝説と思っていた話が
意外と真実かもしれないと、興味はつきません。

最後に、旧約聖書の好きな言葉を紹介します。

天から私達に語りかけている言葉です。

「私の目にあなたは高価で尊い。
 私はあなたを愛している。」

2021年、あなたにとって
素晴らしい年になりますように!